思考ゲームの話題や日々の考察を記録する雑記帳

才羽のザッキログ

将棋

将棋は「カオス」だから、暗記で強くなるのは難しいという話

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目次
  1. 歩が一マス違うだけで全く結果が異なる
  2. 手筋は「答え」ではない
  3. 細かい差異を認識できることが重要

今回は、若干マニアックな将棋の話です。
なぜ将棋の上達は難しいのかという点について、私が考察していることを語ります。

将棋の難しさの本質は、盤上のほんの小さな違いが、数手後には大きな戦況差に増幅されるから、だと私は考えています。

私はこれを「カオス的」なゲームと考えています。

数学で言う所の「カオス」と似ているというイメージです。(初期状態のほんのわずかな違いが結果に劇的な変化を引き起こす、イメージです。)

歩が一マス違うだけで全く結果が異なる

たとえば麻雀では、二三四と五六七はどちらも「完成した順子」として大体同じように扱えます。

それが萬子でも筒子でも、リーチを打ったり上がったりするのに影響がなかったりします。
(もちろん、手役への影響やそれが安全牌として使えるかなどの違いはあります。)

持っている孤立牌が、「北」でも「九筒」でも、自分から見れば孤立牌を切るという判断であまり違いを生み出さなかったりします。


将棋はそうはいかない局面がほとんどです。
何気ない端の歩一つとっても、位置が一マス違うだけで、

  • 端角が進出できるか

  • 玉の安全性への影響

  • どんな攻め筋が残るか

こういったことに影響し、結果として、

  • 攻めの仕掛けが成立するかどうか

  • 端攻めの有無

  • 最終盤で詰ますために必要な駒の多さ

などなど、これら全部が変わります。

「影響の小さそうな、端の歩が1マス違うだけ」でもまったく軽視できない結果の違いを生み出します。
これが「カオス的」だと私が考えているという話です。

この性質により、「似た局面を同じ型として処理する」ことが、将棋では極端に難しいのです。

手筋は「答え」ではない

この「カオス的な」性質がどう上達の話に影響するのかといえば、暗記だけの上達には限界があるということです。

少数の駒を切り出した手筋を覚えても、それは良い手である可能性は高いですが、それでも局所的なパターンに過ぎません。
実戦では周囲の歩、持駒、手番、自玉の危険度が微妙にずれており、実戦でそれが最善手かどうかはわかりません。

とはいえ、四十枚の駒全部を含む局面を丸ごと暗記していくのは、現実的ではありません。

手筋は有力な候補手を発見するための道具にすぎず、相手の応手、攻めの継続性、自玉の安全度など、盤面全体を考慮した読みを入れて初めて採用できるものなのです。

細かい差異を認識できることが重要

もちろん、重要な手筋や形は有力であることが多く、覚えると一定強くなるのは間違いありません。

しかし、それだけではいずれ頭打ちになります。将棋の上達とはパターンを無限に暗記することではありません。

成功した形と、似ているが失敗する形を比較して、どの条件の違いが結論を変えたのかを理解することが重要です。

定跡を学ぶにしても、ただ手順を覚えるのではなく、その戦法の目的や、手の意味、何が優れているのかを知ることが大事です。

感想戦でも「これが悪手だった」で終わらせず、自分がどういう見落としがあり、構想とずれていたのか、を理解して持ち帰ることが大事です。

知識を増やすと同時に、未知の局面でズレや条件の差を認識して補正する力を育てること、が見過ごされがちではありますが、重要な要素だと思っています。